どさくさにまぎれて

アラフォー独身。気ままだけど不安。ヨガと映画と仕事が趣味。

静岡県西部の大停電で思ったこと

停電騒動から約一週間が過ぎました。

私の家、二人の兄の家でも全て停電。

あんなにてんやわんやだったのに、普通の日々に戻っています。

 

『停電を機に日々の電気へのありがたさを感じた』

というのは、月並みですがごく自然に心に思うことで、

とても便利な生活をしているのだなと痛感したわけですが、

 

 

だからといって、

『C電力さん、ありがとうございます!!』

と、神のように崇める気持ちにはならない自分。

もうちょっと正確に言うと、『ありがとう』とは思うけど、

飛行機の中でCAさんが食事を運んでくれるくらいのもの。

自分ではどうにもできないことを提供してもらっているけど、

サービスの1つだと捉えている。

 

停電のさなか、『C電力さん、頑張って!』とは思うものの、

私の脳内は、

『それがあなたの選んだ仕事なのだから頑張るのは当然』

という感情が半分以上を占めていた気がする。

なんともふてぶてしい輩かもしれませんが、

苦情とか嫌味じゃなく、とても当たり前のことだと思うのです。

 

だって、仕事だもの。

C電力さんは人々の暮らしを支える大切な『電気』に関わる仕事を選んだ。

台風などの災害にも対応することは暮らしの内、

当然仕事の内に含まれていると思うのです。

 

かなり重要なことを担っているので、特殊な技術や能力を要するでしょう。

現にC電力さんなんぞに就職すればエリートと呼ばれますし、

彼らの提供するありがたいものを享受するために、

一般市民は電気代という上納金を払っているわけです。

 

そして、この『ありがたいもの』の提供はお互い様だと思っています。

この世の職業、人として暮らす上で欠かせない「仕事」は、

お互い『ありがたいもの』を提供し合うことで、

暮らしを成り立たせ、社会生活を営んでいると思います。

電気もその一つ。

だから、

『ありがたすぎるくらいにありがたがらなければいけない風潮』

『ありがとうと言って応援しなければ叩かれる風潮』

に少々辟易しながら、そっとツイッターを閉じました。

 

C電力さんや、その関係会社の皆さんも、

職業的使命によりやるべきことをやった、

自分の任務を全うしたまで、という意識ではないでしょうか。

 

普段は当たり前すぎて、

人々がその素晴らしさに気付かないくらいのものを、

いつもと変わりなく、何食わぬ顔で提供し続ける方が、

職業人としては最高にクールなんじゃないかと思います。

 

『C電力さんにありがとうと言え!』とツイッターで怒る人は、

全ての仕事に対し、ありがとうと言えているのでしょうか・・・